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軍@さくら
これより仮想戦闘演習を行う想定する場所は画像で出している架空の地域である。
ロシア軍はオフーツク海の制海権を確保してから東浜海岸と東浜市の港へ上陸作戦を敢行した。自衛隊の出動命令が無い為に東浜市に守備兵力は無くたちまち占領された。
政府は急いで防衛出動命令を発令した。自衛隊はすでに危機を感じ東浜市に近い演習場へ陸上自衛隊の部隊を演習の名目で展開させていた。その一番近い部隊である第55戦闘団は川岸町へ移動を開始した。
第55戦闘団は第55普通科連隊を中心に編成された部隊だ。55普連の他には第15戦車大隊第1中隊・第15特科連隊第1大隊・第15高射特科大隊第1中隊・第15施設大隊第1と第2中隊が戦闘団を構成する部隊である。戦力では歩兵もとい普通科隊員が1100人・戦車が14両・榴弾砲が12門が主な戦力である。
対するロシア軍は海軍の第737独立海軍歩兵連隊で戦車・砲兵・防空・工兵を1個大隊づつ有している。戦力は歩兵1800人で戦車は40両・自走榴弾砲18門が主な戦力である。また装甲車輌を130両有している。
軍事評論家の葛城さんが立てたシュミレーションだから説得力があるなぁ
>Re:No.2048 赤いマフラーと青いマフラーがあるのですね
>赤いマフラーと青いマフラーがあるのですね特科なら山吹色・機甲ならオレンジ・通信なら青 施設ならえんじ色 ・衛生なら緑色 ・輸送なら紫色 と分かれているのです
川岸町に到着した第55戦闘団は防衛線を張るべく行動を始める。第55普通科連隊は3個普通科中隊と1個重迫撃砲中隊で構成されている。この3つある普通科中隊を中心に要所の配置を行う。川岸町の南にある白山山脈の麓には第3中隊と対戦車小隊川岸町には第1中隊に戦車中隊の第1小隊と第2小隊に高射特科中隊の第1小隊川岸町の北には第2中隊と戦車中隊の第3小隊に高射特科中隊の第2小隊の3つの部隊に戦闘団は分散した。特科大隊は川岸町の西と白山山脈の西に展開し各方向へ射撃できるように備えた。2つの施設中隊は各地での陣地構築に取り掛かる。
部隊配備と陣地構築を同時に行いつつ川岸町に戦闘団本部を置いた第55戦闘団は偵察も始めた。第15偵察隊から戦闘団に配属された偵察小隊が川岸町より東と東北の二方向へ分隊ごとに出動する。偵察はすぐに敵と接触する。それはロシア軍の偵察隊だった。BRDM‐2偵察車やBMP‐2歩兵戦闘車が1両または2両という具合で自衛隊側の偵察は戦闘を避け敵を見つければ退き見つかれば離脱の為に一時交戦をする場合もあった
出動したその日の夜戦闘団本部には偵察の情報が入るロシア軍は東浜市から偵察部隊を盛んに出している事がまず判明した。次にロシア軍の占領しているであろう地域が分かった。東浜市街とその郊外に東浜海岸に北岬山を占領しているようであった。戦闘団本部はこの情報からまだロシア軍は橋頭堡を確保した段階であり進撃は明日か明後日であろうと幕僚は分析する。だが戦闘団長はロシア軍は明日にはすぐ内陸への進撃を開始するだろうと踏んでいた。ロシア軍は増援部隊を揚陸しているだろうし何よりもこちらの防衛線が整うのを待つ筈が無いだろうからだ。
同じ頃白山山脈の麓では川向こうの森から多数のエンジンが聞えていた。戦車や装甲車を森に入れているようだ。これは御木河を渡河するつもりで配置に就いているのだろう。第3中隊長は戦闘団本部に攻撃準備破砕射撃を要請した。攻撃準備破砕射撃は敵の攻撃準備を妨害する砲兵による攻撃だ。いわば先手を打ち準備を遅らせるのが狙いだ。だが戦闘団長からの回答は却下だった。出来ればしたいが現状は特科の弾薬が満足に無い状態だった。師団や方面隊がまだ動き始めたばかりであり手持ちの弾薬だけで戦わねばならない。だから砲弾は節約せねばならぬと戦闘団長は述べた。第3中隊長は目の前の森に隠れた敵に不気味さと手が出せない苛立ちに地団駄を踏むしかなかった。
翌朝ロシア軍の先制攻撃から始まった。オフーツク海を越えて飛来したロシア空軍の戦闘攻撃機と攻撃機が自衛隊の各部隊を爆撃した。次に砲撃が行われる。昨晩の内にロシア軍は砲兵旅団の1個大隊を揚陸させ18門から36門に火砲を増強させた。(152ミリ自走榴弾砲2S19が36門)この火力が自衛隊の陣地へ降り注ぎ隊員達は砲撃が終わるまで動けないでいた。砲撃が終わるとすぐにKa50やMil24攻撃ヘリが現れ攻撃を継続する。陸と空の攻撃に第55戦闘団は耐えるしかなかった。
敵機に対して高射特科中隊の81式短距離地対空誘導弾や普通科が91式携帯地対空誘導弾で反撃し数機のロシア軍機を撃墜したが高射特科中隊は射撃位置をロシア軍に掴まれ砲撃によって戦力は半減してしまう。ヘリによる攻撃が続く中でロシア軍海軍歩兵連隊は進撃を始めた。3個つある歩兵大隊ごとに連隊は進む。2個歩兵大隊と1個戦車大隊が北と東から川岸町を挟撃し1個歩兵大隊が御木河を渡河し白山山脈の麓へと進む。御木河を渡河するロシア軍に対して第55戦闘団は特科大隊の1個中隊4門による射撃を開始する。155ミリ榴弾砲FH70から放たれた砲弾が御木河を渡河するロシア軍の頭上へ注がれる。ロシア軍は渡河作戦に際し水陸両用車のMT‐LB装甲輸送車30両に歩兵を乗せた部隊を先頭に出した。特科の砲撃に対戦車小隊の87式対戦車誘導弾が装甲車の渡河を阻止しようと試みる。自衛用の機関銃しかないMT‐LBは自衛隊の阻止火力に為す術が無く次々と撃破されるが確実に対岸へと進んでいた。
ロシア軍もただ渡河部隊を突撃させている訳では無かった。攻撃ヘリに掩護をさせていたし砲撃に対しても東浜山脈の山頂に陣取る砲兵観測員が白山山脈の頂の向こうに見える微かな砲火を視認し、砲兵大隊に連絡し対砲射撃を行わせた。対砲射撃を受けた特科中隊は2門を破壊され砲撃を中止する。白山山脈の麓にある第3中隊はこうして独力での戦いを強いられる事となった。攻撃ヘリの攻撃を受けつつの防戦は厳しく武装の乏しいMT-LBの進撃を止められず岸に上げてしまう。上がるとすぐに車内から歩兵が飛び出し歩兵同士の接近戦となる。接近戦になると第3中隊は渡河するロシア軍の後続部隊を叩けなくなる。増えるロシア軍に第3中隊は押されようとしていた。
その頃川岸町も危機にあった。2個普通科中隊に戦車中隊に特科大隊主力で守る川岸町T80戦車とBMP2歩兵戦闘車で組んだ機械化部隊が南北より国道を走って突き進もうとする。ヘリに上空掩護させているとはいえ車道だけを走るのは危険だ。何故なら側面の備えが甘くなるからだ。川岸町の東には森がある。そこへ第15戦車中隊の主力である2個小隊8両の74式戦車が入り込み伏兵となった。この伏兵戦車は川岸町を真東から突こうとするロシア軍部隊を待ち伏せた。そして現れた機械化部隊に対し射撃を開始する。側面と背後を晒すT80とBMPへ74式戦車は容赦なく射撃をし各車2度撃ってからすぐに後退をする。同じ場所に居ては反撃をする受けるからだ。
戦車による伏兵はロシア軍の進撃を少しだけ止めたが。路上で長く立ち止まるのが危険であると知っているロシア軍の指揮官は撃破された車輛を戦車でぶつけて強引に路肩へ寄せて道を空けてから進撃を再開させた。だが位置を替えて再び待ち伏せる74式戦車によってまたしばしの立ち往生をする羽目になる。しかし今度の待ち伏せ攻撃をしたのは4両だけでもう4両は川岸町へ戻る途上だった。川岸町の防御は急ごしらえの塹壕に配置された普通科に壕と偽装網をかけられた高射特科と機甲科が主だが陣地より前には「障害U型」と呼ばれるモノが置かれている。これはよく知られた名前で言うとクレイモア地雷だ。本来なら対人地雷の保有を禁止する国際条約を批准した日本では持ち難い武器だが「自動的に爆発しないものは対象外」とする事から設置した者が有線のリモコンで爆破するクレイモア地雷もとい障害U型は保有できたのだ。
戦車隊による待ち伏せ攻撃で少し時間を稼いだもののロシア軍は撃破された車輛を回収せずただ進撃路からどけて遮二無二に前進し川岸町へ突撃を開始する。この突撃に第55戦闘団は特科の突撃破砕射撃を行いロシア軍の突撃を一時的には止めたが北岬山にも砲兵の観測所を置き対砲兵射撃を行い特科大隊はその動きを封じられてしまった。自衛隊砲兵の脅威が無くなるとロシア軍は突撃を再開した。戦車や装甲車には陣地へ帰還した74式戦車か対戦車小隊の対舟艇対戦車誘導弾の射撃が迎え撃つ。BMP2から降りた徒歩の歩兵に対しては障害U型と普通科の射撃が浴びせられる。
第55戦闘団の団長は特科がロシア軍によって動きを封じ込められたとはいえまだ粘れると考えていた。とにかく二、三日ここで足止めをすれば師団の主力と方面隊直轄部隊に他の師団や旅団が駆けつけ来るからだ。それまではここで足止めをし増援部隊の到来と反撃の準備が整うようにするのだ。しかし、兵力差がある以上はいつまでも防衛線を保つのは無理だろう。現に御木河西岸の白山山脈麓を守る第3中隊は支え切れず川岸町の南を守る位置に下がっている。またロシア海軍の艦砲や航空攻撃の届く事も考えれば厳しいものだ。戦闘団が耐え切れなくなったら川岸町より西にある二本松町を次の防衛線として作戦計画を立てている。計画では既に派遣している施設科による陣地構築が終わってから二本松へ後退する。寸土もロシアには渡したくは無いが劣勢であるのだから徐々に後退しながら戦う遅滞行動をしながらの戦闘で出来るだけ敵の進撃を遅らせるしか無い。後は援軍がいつ到着するかにかかる。
午前の攻防を第55戦闘団は切り抜けた。しかし代償は大きい。増援を得て空からの支援を受けられたロシア軍の攻撃力は熾烈であったからだ。ロシア軍も損害を受け一時攻撃を中断したが第55戦闘団よりはまだ戦力は残っていた。また爆撃や砲撃を続けている分まだロシア軍は有利であると言える。この時点の戦況は自衛隊側の師団が東浜市と東浜海岸から侵攻するロシア軍を二つの前線で食い止めている。それぞれの前線に1個普通科連隊基幹の戦闘団を配置している。師団は3個普通科連隊があるから残る1個連隊が予備戦力になるものの白山山脈沿いの御木河を突破された事で残る1個連隊を白山山脈の南に配置する事になった。
それでも第55戦闘団へ増援を送らねば戦線は崩れる。師団長は白山山脈の南に展開する第56普通科連隊に命じて1個中隊を第55戦闘団へ送る事にした。師団ではこれだけが出せる戦力であったものの増援をアテにしてなかった第55戦闘団長からすれば100人だけでも増援が来るのは有難いものだった。だが増援の中隊が来るのは夜間になりそうだった。昼間はロシア軍機による攻撃を受けるからである。つまりは午後の日没まで現状で戦わねばならない。戦況は押されているとはいえ第55戦闘団の隊員の戦意は衰えて無かった。むしろこれ以上ロシア軍を進ませて自分たちの故郷に来させてはならない。奪われた故郷の近くから去りたくないと言う意識があったからだ。
午後2時からまたロシア軍の攻撃を第55戦闘団は受ける。この時までに陣地の補強と師団から送られて来た補給を少しばかり受け戦闘態勢を整えていた。戦闘は川岸町に集中したが戦力的に見れば川岸町は午前中では1個中隊で守っていたが午後からは後退して来た第3中隊と合流し川岸町に限れば戦力は普通科2個中隊で強化されたと言える。その強化された戦力で日没までに川岸町は維持された。それは2個中隊が1個中隊に磨り減る程の代償によってであった。戦車中隊は2個小隊から1個小隊になり高射特科はロシア軍砲兵によって全滅した。午後10時に増援の中隊が川岸町に到着する。戦闘団長は増援中隊からレンジャー課程修了者を選抜して5人の夜襲隊を編成した。翌日午前1時に夜襲隊は出発した。だがロシア軍の赤外線暗視装置によって見つかり猛烈な射撃を受け夜襲は失敗した。猛烈な射撃は戦闘団長にロシア軍も夜襲をしようとしていたのではと思わせた。その判断は正しく。夜襲隊はロシア軍の夜襲部隊と遭遇したのだった。
ロシア軍は夜襲部隊の存在がバレてしまい奇襲の効果が無くなったとして部隊を退却させた。自衛隊の夜襲部隊も同じくだ。同じ頃第55戦闘団は次の日の戦闘に備える。陣地の補修や弾薬の分配に武器の整備を各自が行う。もしも双方の夜襲部隊が遭遇して夜襲を断念して無かったら第55戦闘団は休む事はできなかったであろう。第56普通科連隊からの増援を迎え入れ第55戦闘団はようやく明日の準備が整う。歩哨を交代で立て隊員達は微かな休息を取る。戦力は4個普通科中隊に1個戦車中隊・特科1個大隊・2個施設中隊と普通科は実質3個中隊だがまだ戦える力は残されている。
戦場とは機先を制するのが一番である。だが自衛隊はまだ戦略的に先制攻撃ができる態勢が整ってはいない。とはいえ戦術的には先手を打とうと動き始めていた。初日の戦闘で動きを抑えられた特科大隊は方面隊の特科隊からやって来た観測中隊の空中標定小隊が遠隔操縦観測システムで運用する無人ヘリの助力を得て前進観測班を前線に送りロシア軍部隊の位置を陽が昇る前から観測した。観測した情報から特科大隊本部はロシア軍前線部隊の位置を地図に書き込む。初日であまり射撃ができなかったおかげで特科大隊は補給を得て大隊で斉射するなら10回以上はできる量が備えられた。
早朝のロシア空軍が襲来する直前の時に特科大隊は一斉に射撃を開始した。出撃前のロシア軍へFH70の155ミリ榴弾が降り注ぐ。車輌と将兵を揃えて自衛隊の攻撃に出ようとしていたロシア軍はこの射撃で作戦開始時刻を遅らせなければならなくなった。これが特科大隊がやりたかった攻撃準備破砕射撃である。ロシア軍は受けた損害を把握してから部隊を再編してからでないと動けないはずだ。とはいえ斉射は3回までしか行わない。ロシア空軍から早く隠れる必要があったからだ。しかし北岬山に陣取るロシア軍の砲兵観測所からは見つかり対砲射撃をすぐに受けたが特科大隊は三斉射し終えるとすぐに陣地変換を行い射撃位置から離脱していた。離脱した特科は偽装網を被り次の射撃まで待つ事となる。